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零れ落ちてゆく想い

人が死にたいと言ったとき私たちには何ができるんだろう。

死なないでっていう事は簡単で、でもそれってそれを言ってる自分に酔ってるだけだったり他人からいい人に見られたいって気持ちだったり過去の自分どん底から抜け出して偉い自慢だったり俺も頑張ったんだからお前も頑張れよ的だったり止めなかった自分が後で罪悪感を持ちたくなかったり。

そういうシーンで心を寄せる事はできるけど死なないでとは軽率に言えない。引き留めたところでそれは無責任だと思うから。

でも完全にバックアップする気がある相手には生きてって言うし、いなくならないで欲しい。

具体的な策を提示するのはどちらかと言えば正解に近いと思う。ただ提示しただけじゃなくて例えば金銭面を解決してあげれば少しは楽になりそうな場合、金銭面で支援するサイトからみんなで援助しようよみたいな話に及んでいなくて具体性に欠ける。でもそう言う話が出てたらそこじゃないよね安直すぎるって思うかもしれない。大人たちからの相談先についてのアドバイスといった点では間違ってはいないかなって思うけど、それができないレベルまで来てるってことをまるで理解できていない。

つまりこういう問題は外野がどうこう言える話ではなくて。

死にたいについての真偽は定かじゃないけど、不幸話に群がるハイエナみたいな偽善者たちの茶番を見てクソだなって思ったしだから人は信じられないって思った。

でも結局、こんな風にしか捉えることができない自分自身が1番ダメなのかもしれない。

自分のことは自分で決めなくちゃいけない時があって誰かのアドバイスに従った場合うまくいかなかったときに責任転嫁してしまいがち。

ここまで書いてたら、ずっと前にちょっと辛くて溺れそうみたいなことを漏らしたとき、いつもそんなこと言わない人たちが優しい言葉をかけてくれてちょっと吐き出したかっただけだけど優しさに感謝したことがあったことをふと思い出した。

人は言葉で誰かの命を救うことができるんだろうか……わかんないや